
| 福島・勿来の関 |
![]() 勿来の関の入口。 源義家がお出迎えです。バックに桜を背負っています。 ![]() 関所蹟の古い石碑。 山桜が手前に咲いています。 ![]() 義家はかなり凛々しい感じ。 ![]() 関所跡から勿来関文学歴史館まで約200メートル、 石畳が敷かれ、街道っぽく再現されています。 ![]() 文学歴史館の入口。ここにも桜が咲いています。 ![]() 入口にはこんな演出も。 右奥には海が見えます。 勿来海岸が東北地方で一番早く海開きされる海岸。 けっこう波が高いので春先はサーファーのメッカ。 ![]() 文学館内部は「歌枕コーナー」と「近世の宿場コーナー (深川江戸資料館みたいな感じ。知っている人には わかる・・・)」の2つ。 その2つのゾーンを結ぶ廊下に「ナコソタイムズ」が かかっています。 ここは撮影禁止となっていなかったので、 撮っちゃいました。「歴史新聞(これも知っている人は 知っている)」みたいで面白かったです。 ![]() 今回の発見がこれ!! 文学歴史館前になんと!寝殿造りが建築中でした。 正殿に東の対(トイレでしたが・・)、西の対完備! 現在、南庭に池をつくっていました。 平成17年中に完成予定だとか。 内部は体験学習室になるらしく、本格的な寝殿ごっこが できるわけではなさそうですが、一見の価値アリ。 |
4月中旬、福島県いわき市にある「勿来(なこそ)の関」に行ってきました。 以前、仕事の途中に立ち寄ったことがあるのですが、 その時は時間もなくほとんどちゃんと見ていなかったので、 今回がほぼ、はじめて状態。 ここは古くから和歌の歌枕の地として知られ、多くの歌人達が歌を詠んでいます。 歴史的には白河の関(福島県白河)、念珠ケ関(山形県温海温泉)とならんで “奥州三古関”と呼ばれ、奥州への入口でした。 近世には奥州街道は白河の関、新潟から山形へ向かう北国街道は念珠の関、そして水戸から仙台に向かう浜街道の関所が勿来の関でした。 現在でも茨城県と福島県の県境にあたり、関東と東北の境になっています。 勿来とはつまり 「来る勿かれ」。 こっから先へは来るな!という意味です。 都人が奥州人への脅威からこういったのか、奥州人が自治圏への進入を拒否したのかはわかりませんが、 とにかく、ココは不進入宣言をした関所とでもいえるのでしょう。 勿来関の成立時期については不明ですが、 養老3年(719)に石城国に始めて駅家が置かれる、とい記述があることから、関所はなくとも、このあたりの街道が整備されはじめたことがわかります。 また奈良時代末期から平安時代にかけて、 有名な坂上田村麻呂(758−811)などにより、盛んに奥州への征討(というよりも朝廷勢力への融合)が行われていますので、 関所の成立はその頃になるのかも知れません。 ちなみに坂上田村麻呂は、彼による温泉の発見という「開湯伝説」を辿ると(蓼科温泉、四万温泉、岳温泉、大沢温泉など)、どうやら白河関を越える奥州街道を行ったと思われます。 さて、勿来といえば「来ないで」という意味の歌枕。 この歌枕が一躍有名になったのは小野小町(809−901??)の歌、 みるめ刈る 海人のゆきゝの 湊路に 勿来の関も わが据なくに 新勅撰和歌集 のおかげ。彼女の出生地は秋田県湯沢市、福島県小野町など、東北だという伝説がいくつもあり、その伝説に従えば、勿来関に実際に来たことはなくとも、土地勘みたいなものはあったのかもしれません。 実際に彼女の歌には海が出てきますし、実際の関所は小高い山の上にあるのですが、常陸の海が眺められます。 ほかにも、紀貫之(872?−945)の 惜しめども とまりもあへず 行く春を 勿来の山の 関もとめなむ 藤原行成にイジワルをして、一条帝に「歌枕を見て参れ」といわれ本当に奥州に飛ばされた藤原実方の ほととぎす 勿来の関の なかりせば 君が寝覚めに ますぞ聞かまし など、多くの歌人が「勿来の関」を歌っています。 が、みんな来たことはないはず。実方もこの歌を歌った後に飛ばされていますし・・・。 紀貫之の歌は非常に格調高く素敵ですが、勿来の山はそんなに高くありません。小山っていう感じです。 で、実際にやってきたのは八幡太郎と称された源義家(1039−1106)です。 「天下第一武勇の士」と賞讃され、源氏武士の鑑とされた彼ですが、ロマンチックな歌人でもありました。千載集に掲載された一首が、 陸奥国にまかりける時、勿来の関にて花の散りければよめる。 吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな です。前九年・後三年の役あたりで奥州に向かうときに詠んだのでしょうか。 筆者が勿来の関を訪れた2005年4月21日は桜が満開。 残念ながら山桜ではなく、ソメイヨシノでしたが、それはそれは美しい風景で、義家の気持ちにひたってみたりしました。 義家の銅像脇にも桜の木があり、まさに歌のごとし! なかなか、ナイスな時に来たと思いました。 勿来の関はその後も鎌倉時代にかけて歌枕として数々の歌が詠まれました。 西行や芭蕉(西行はたぶん来ていません。芭蕉は微妙です。奥の細道は奥州街道を辿っているので、勿来へは別の時期に来たのでしょうか。あまり興味がない人なのでこれ以上調べていません)、近代に入ってからは斎藤茂吉などがここを詠んでいますが、関所の役割を終えた江戸時代には宿場町化していきます。 勿来の関跡は今は整備され、それっぽい石畳が100メートルほどと、源義家の銅像が建っています。 すぐ隣には「いわき市勿来関文学歴史館」があり、歌枕としての勿来の関を偲ぶことができます。 05.4.30更新 |
勿来の関跡・いわき市勿来関文学歴史館 福島県いわき市勿来町関田長沢6−1 JR常磐線勿来駅より車5分 勿来の関文学歴史館 電話0246−65−6166 入館料 大人320円 開館時間 9時〜17時 休館日 毎月第3水曜日 |